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 「また喧嘩したの?」
 

 


 あたしの膨れっ面とボサボサの髪の毛を見て彼はそう言った。

 その表情に怒りはなくて、むしろ穏やかな面持ちでその人はこちらを見ている。


 「ほら、こっちにおいで。」

 


 つんとした独特のにおいが漂うこの空間は、いつかこの人の存在をも飲み込んでしまうのだろう。
 真っ白いベッドが彼の居場所になってしまったのは何年前のことであったか。



 「女の子なんだから無茶ばっかしたら駄目だってば。」
 「……これは、あいつらが悪い。」

 悪びれもせず言い捨てても、彼は怒ることはしない。
 いつだって困ったように眉尻を下げるだけ。

 それはきっと、あたしが喧嘩する“ただひとつの”理由を知っていたからなのだと思う。

 


 「サナがそんなんじゃ安心して天国に行けないんだけど。」
 「……行けなくていいもん。」
 「えー?」
 「ずっとそばにいて、無茶しないように見守って。」


 ベッド横に備え付けられていた椅子に座って、ショウを見遣った。
 あたしと目が合うと、彼は柔和な笑みを浮かべる。


 その笑顔が、たまに、たまにだけど怖くて堪らない。

 

 空気に融けて消えてしまいそうで、こわい。



 「死なないで。」


 震えた声で呟けば、ショウは笑う。

 昔からの癖だ。保証のできないことは絶対に約束しないで、笑って済ませようとする。
 だから尚更、あの笑顔が怖いのかもしれない。


 「ショウが死んだら私も死ぬ。」
 「もう、またそんなこと言って。」
 「そこの海で溺れて死ぬ。」

 この部屋の窓からは海が見える。

 

 海を指差してあたしがそう言うと、ショウは溜息をついた。


 「だーめ。」

 小さい子を宥めるような言い方にムッとして、ショウを軽く睨みつけた。


 「サナが死んじゃったら俺、死にきれなくて成仏できずに永遠に彷徨っちゃうから。」

 なんてことないかのようにそう言って、カラリと笑う彼は何を思っているのか。

 

 

 ショウの目を見つめたまま、「……それでいいよ。」発した声は情けなかった。


 「あたしも一緒に彷徨うから。そんで永遠にショウと一緒にいる。」
 「……。」
 「だから、」

 

 「サナ。」


 続けようとした言葉は、ベッドの上から海を見つめる彼によって遮られた。
 そしてゆっくりと、彼の双眼が私を捉える。



 「死なないで。」


 この人は、狡い。
 自分は嘘でも約束してくれないくせに、あたしにはこうして約束させようとする。


 あたしは彼の言葉に応えなかった。

 するとショウも何も言わなくなり、沈黙がこの部屋を制した。
 静かな空間のまま、どれくらい経った時であろうか。



 「いいんだよ、」

 声を発したのはショウだった。


 「サナは俺のために怒らなくても。」

 


 無意識に下唇を噛んでいたらしい。
 切れてはいないものの、ヒリヒリと跡が痛んだ。


 「俺のために喧嘩しなくてもいいし、」

 


  『ショウってあのひ弱だろ?』
  『ずっと引きこもってるからすぐに倒れんじゃねえ?』
  『うーわ、それ言えてるな!』

 


 「自分を犠牲にする必要もない。」


  『あの子、また校内で暴れたんだって。』
  『え、また?先週もそれで指導受けてなかったっけ。』
  『男子数人相手に喧嘩して勝ったとか。』
  『何それ、こわくない?』


 「もっと自分を大切にしてよ。」


 ねえ、なんで泣きそうな顔で微笑むの?

 あたしは別に無理なんてしてないし、自己犠牲をしてるつもりもない。

 ただムカつくから。ショウのことを大して知らない人が彼を悪く言うのが気に食わないだけ。


 だからそんな顔はやめてよ。

 

 ショウを直視することが出来なくて思わず下を向いてしまう。
 椅子の上で足を抱え込むように座って、膝に思いっきりおでこを押しつけた。

 

 

 なんなの。なんで急にそんなこと言うの。
 何で、なんで。わけがわからない。

 何でそんなに、急に、居なくなった時の話をするの?


 じわり、と何かが体内で込み上げてきて。

 さっきよりも強く頭を足に押し付けると、何かが髪の毛に触れる感覚がした。
 それはあたしの頭の上に乗り、ぽんぽんと優しくさする。

 


 優しい温もりに、これがショウの手のひらだと理解するのは簡単だった。



 「サナ、お願いだから死なないでね。」

 そんなのこっちの台詞なのに。
 押しつけ過ぎた額が少し、痛い。


 「俺の後は追わないで、……その代わりにさ、」

 膝近くの布が水分に侵されていくのを感じた。



 「俺のために生きてよ。」


 やっぱりこの人は狡くて。


 “ショウのため”

 あたしがソレに弱いことを誰よりも熟知した上で、そんな言い方をする。
 絶対に断れないことを知っているから。

 嫌だとは言えない、けれどそれには頷くこともできなかった。

 

 

 彼のいなくなった世界が、あたしにはどうしても想像つかなかったんだ。

 






 「あ、サナ待って。」


 帰り際。

 部屋の扉に手をかけた時、後ろから呼び止められた。


 「どうかした?」

 さようならってちゃんと挨拶はしたし、忘れ物がないかしっかり確認もした。
 次いつ来るから、と予定の確認も済ませた。

 何だろうかと思いながら振り返ると、ショウはベッドから降りていてこっちに近づいてくる。

 

 スリッパの音はあたしのそばで止まった。


 「これ、貰ってほしい。」


 ショウの手には可愛らしくラッピングされた、何か。

 

 突然のことにきょとんとしていると、目の前に立つ男はそれをあたしの顔の近くに持ってくる。

 


 「……あ、花だ。」

 ラッピングの透明な部分から中を覗けば、淡い色合いの花びらが見えた。
 ピンクのような紫のような、そんな色。

 どうやらこの花は鉢に入れられているらしい。



 「サナにあげたくて、母さんに頼んだの。」


 ショウから花を受け取ってまじまじと見る。
 うん、可愛い花だ。

 「何ていう花なの?」と、ラッピングを少しだけ解きながら聞くと「アイレンって言うんだよ。」と嬉しそうな声色で彼は教えてくれた。


 「アイレン……。」
 「どう?気に入ってくれた?」

 あたしを伺うような控えめな問いかけに「うん、すごく気に入った。」と即答して。
 それに満足したのか、ショウは少し照れ臭そうだった。


 


 「今日もう帰るけど、……これ、本当にありがとう。」


 花を一瞥してお礼を言うと、ショウは「いえいえ。」とはにかんだ。


 「明後日また来るからね。」
 「うん。」


 部屋の外へと足を踏み出す。

 敷居を挟んでショウと向かい合ったまま、花をゆっくりと抱え直した。
 


 「またね、サナ。」


 手をひらひらと振る彼に、私も振り返して、そっと扉を閉めた。


 扉が閉まる直前に見えたショウの顔は、嬉しそうだった。
 でもそれと同じくらい切なくて、哀しくて、泣きそうな顔だった。


 彼は、“またね”が来ないことに気付いていたのかもしれない。










 「その花、気になりますか?」


 帰路の途中、通りすがりに目に留まった花屋。

 その場に立ち止まってショーウィンドウに飾られた花を見つめていると、お店のエプロンを身につけた女性がいつの間にか横に立っていた。


 「……綺麗な花ですよね。」
 「ええ、これは“アイレン”という花なんですよ。」


 優しそうな笑顔を浮かべたこの人は、母親と同じくらいの年齢だろうか。
 花を見る目がとても柔らかくて。植物がとても好きなのが伝わる。


 「……花言葉は確か、        でしたっけ。」
 「あら、よくご存じですね。お花とか詳しいの?」
 「あ、いえ。そういうわけではなくて。」

 

 

 「ちょっと、昔調べただけです。」と言って苦笑いを浮かべると、店員さんは不思議そうな顔でこちらを見ていた。
 その視線から逃げるように目を逸らし、ガラス越しにもう一度アイレンの花を眺める。

 

 

 ああ、なんて哀しくて切ない花なんだろう。

 アイレンの花言葉は、
 “幸せになってください”

 「この花は、嫌いです。」
 

 ■ SIDE:??? → 【Extra edition.】


  執筆:2013.12.20

  編集:2020.09.01

哀恋の花

これが最期の約束。
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