大好きな君に。
大好きで大好きで大好きで、好きすぎて泣きたくなるくらいの愛は重いから君には渡せないけれど。
透き通った世界に生きる、純朴で綺麗なままの君に。
笑顔を届けることが出来るなら。
それだけで僕は幸せになれる。
「はーい!笑って笑ってー!」
広い校庭の片隅で、私は声を張り上げる。
手には使い古されているわりに傷の少ない黒いカメラ。足元にはそれを仕舞い込むための大きな鞄。
大切な私の仕事道具だ。
辺りには鼻をすする音や笑い声、慌ただしい足音や小さな悲鳴がちらほら。
一貫性のない音たちではあるけれど、どれも今日という日の結晶だと思えばかけがえのない。
各々が感情のままに泣き、笑い、思いを堪えて。
複雑そうな彼らの表情が、それぞれのスピードでレンズ越しに心を運ぶ。
全員が手にしている紙切れは、この場所を巣立つという証に他ならない。
今年も、3月1日がやってきた。
「はい、チーズ!」
ニカッと笑って大きな声で合図を送り、軽快なシャッター音とともに目の前の若者の姿を記録に焼きつけていく。
「うん、よく撮れましたよ。」
カメラのモニターには多くの表情と想いと、彼らが今まで過ごしてきた時間がしっかりと映り込んで。
たとえ涙でぐしゃぐしゃでも、寂しさに耐えるための作り笑いでも。
「おねーさんありがとう!」
今日という日に精一杯笑って写真に残る彼らは、みんな最高の笑顔をしていた。
たった一日、いや、実際はわずか数時間。
その間に喜び、悲しみを軸とした多くの感情がぐるぐると渦巻いては散っていく。
実感など無くたって涙は溢れて、現実味を探し求めて気分は高ぶって。
空間に漂うただならない浮遊感は無関係者な私の肌にさえ突き刺さる。
それほど、卒業というのは大きなモノだった。
まだ幼さを帯びたままの少年少女たちにとっては。
この仕事を始めてもう数年が経とうとしているけれど、3月1日、この日に感じる肌の粟立ちには未だに慣れることが出来なくて。
「眩しいなあ。」
青春の二文字に目が眩みそうだ。
若いって素晴らしい、なんて台詞を吐きたくなる辺り私もあの頃と比べて随分年をとったらしい。
実際はまだ20代に差し掛かったばかりだというのに。
彼に出会ったあの頃から、片手で数えられるほどしか経っていないというのに。
元々カメラにも写真にも、興味があったわけではない。
きっかけは、何処にでも転がってるような単純なことだった。
私には好きな人がいて、
「はじめまして、少女さん。」
私はその人に憧れていて、
「被写体になってみない?」
その背中に追いつきたいとがむしゃらに手を伸ばしていた。
だけどきっかけというものは、あくまで一介の糸口に過ぎなくて。
「カメラは、俺の全てだよ。」
結局は、自分の意思でこの道を選んだ。
今はもう居ない彼の、果たせなかった世界を代わりに見てやろうかって思って。
人のそのままを引き出してカメラに、心に、焼き付けてしまう彼はまるで“魔法使い”だった。
誰もが魔法にかけられて、魅せられた。
彼がイイ魔法使いだったのか、今でもそれは分からない。
けれどたったの一度でさえその魔法に引っかかってしまえばもう、逃れることは叶わない。
私の心も、出会ってしまったあの日から逃れられずにいる。
ねえ、僕の愛しい人。
「あ、……雪降ってきた。」
君は今、幸せですか。
もしもその答えが“ノー”ならば、貴女がどこに居ようと駆けつけて笑顔にさせてみせましょう。
「雪って、少し切ないな。」
半ば無意識的に手が動き、ボタンのひとつをゆるりと押し込んだ。
カシャ、カシャ、カシャリ。
このカメラを手にしてから2年も経ったというのに、私はただの一度も雪を捉えられたことはない。
ゆらりゆらりと揺れては写されることを拒むかのように。
こんな時、“彼”ならどうしたのだろう。
ふと、そう思って。
ふと、思っただけのはずなのに。
一度思い浮かべてしまった感情の波は高くなるばかりで、押し寄せて止もうとはせず。
願わくば、笑顔咲かせる君を。
彼が愛したカメラから、初めて世界を覗いた時のことは一生忘れない。
異様なほど世界が煌めいていたのは、私の心が荒んでいたからかもしれない。
不思議なほどピントが合わせづらかったのは、私の視界がぼやけていたからかもしれない。
でも一度輝きを手に入れた世界は滲んで尚、綺麗だった。
願わくば、不安要素のない君の世界を。
いつか、もしも。
もう一度あの人に会えたなら。
願わくば、
そんな中途半端な希望論を胸に、私は一歩ずつでも前へ踏み出していく。
オトナになって振り返った時に、自分の歩いた道を誇れるように。
あなたが胸を張って“イエス”と言えるような未来を。
どうか、私の愛した人にもう一度会えた時に。
訊かせて、僕の愛しかった人よ。
“ねえ、今の貴女はシアワセ?”
「あなたのおかげで幸せだった」と、笑えるような未来を。
「……あ、」
小さく漏れた声は、素肌に触れた雪のように一瞬で空気に融けていく。
隣に貴方は居ないけれど、貴方が居た思い出は温かい。
どうか、僕が居なくなった世界でも、
「雪、止んじゃった。」
貴女は笑っていてください。
■ 綾瀬りず様への愛を込めて
Happy Birthday.(03/01)
執筆:2014.03.02
編集:2020.09.01