スガワラコウイチのことは、今となってもよくわからない。
基本的にルーズなのに、妙なところで生真面目だったり細かい一面があったり。
私からすれば、彼は矛盾の塊に見える。
一例を挙げるとするならば、彼は待機電力が嫌いだと言う。
「待機電力は庶民の敵だから」と言い切る程に、電気を無駄にするのは惜しいのだと。
確かにそれは感心な心がけなのだけれど、代わりに彼は電気をつけたままでないと眠れない。
そういう人は世間にはいっぱいいるのかもしれないけれど、私の周りには彼だけだったから、とても不思議に感じていた。
「でもね、豆電球だとダメなんだ。」
以前、彼はそう言った。
「豆電球にするくらいなら真っ暗で寝るよ。」
少し屈折しているな、と思いながら聞いていたのを覚えている。
暗い部屋で眠れない理由は『こわい』とかではなく、『さびしい』から。
以前、彼はそう言った。
私は、一度だけ、彼と一緒に寝たことがある。
しかしそれは男女のアレコレなどといったものでは一切なく、言葉通りの意味だ。
彼の家に初めて遊びに行った時、彼の両親にやたらと気に入られたことが原因で。
帰るタイミングを失った私はそのまま泊まることになってしまった。
自宅にかけた電話では「友だちの家に泊まることになった」と告げて快諾してもらったけれど、きっと母は女友達だと思っていたに違いない。
背が高くてスタイルもよくてモデルのような、コウイチのお姉さんに借りた服は私にはとてもじゃないがぶかぶかだった。
そしてスガワラ家の、コウイチと同じ香りが鼻腔をくすぐった。
ゲームをしたり学校の話で盛り上がったりと夜深くまで遊んで、遊び疲れて。
私の分の布団はコウイチのお母さんが押入れから出しておいてくれたけれど、敷くのが面倒だと私たちは声を揃えた。
だから、準備してもらったのに申し訳ないとは思いながらも、コウイチのベッドにふたり並んで寝転がった。どちらからともなく差し出した手を握り合って。
「眩しくて眠れない。」と言うと、彼は何の躊躇もなくすぐに部屋の電気を消した。
眩しいと言ったのは私だけれど、そんなあっさり消して大丈夫なのかと逆に驚いてしまった記憶がある。
さらには、暗いと眠れないはずの彼が私よりも早く眠るという始末。
後から聞いた話によると、どうやら彼は暗い中でも人の温もりがあればよく眠れるのだという。
翌朝、いつもは朝が弱くて寝起きが悪いというコウイチは早起きが得意な私よりも何故か先に起きていて、クマなどない綺麗な顔で「おはよう。」と笑った。
あれから、どれくらい経ったのだろうか。
2年くらい経ったような気がするし、まだ1年と少ししか経っていない気もする。
彼と私は同じ高校に入学したけれど、クラスが離れてから会うことが少なくなった。
廊下とかですれ違えば話をしたり、通学路の途中で見かければ一緒に登下校したりもする。
決して疎遠になったわけではない。
ただ、運任せの付き合いになってしまっただけ。
中学の時と違うことといえば、私は知り合いの勧めで塾に通い始めた。
塾というのは堅苦しいイメージがあって決して気は進まなかったのだけれど。
いざ仕方なしに通ってみると、その塾のアットホームな空気感は心地よかった。
週3日の塾の帰り道、私はコウイチの家の前を通る。
塾に通い始めて、そして帰り道にこの道を選んで初めて知った事実があった。
私が家の前を通る23時過ぎには、彼の部屋の電気がよく消えているということ。
コウイチは、日付が変わるまで寝ることはないと言っていて。
コウイチは、電気を消して寝ることが出来なくて。
コウイチが電気を消して眠れるのは、“誰かの温もりを感じている時”だけなのに。
彼の夜は、“誰か”と共有していることが多いことを知ってしまった。
もしかしたら、彼は今部屋に居ないだけかもしれないし、コンビニに出かけたのかもしれない。それか、遊び疲れた末に部屋に入ってすぐに眠ってしまったなんて、珍しいことが起きているのかもしれない。
それに、もしも誰かと一緒に居たとしても男友達かもしれないし、女の子だとしてもかつての私みたいにただ一緒に眠っているだけかもしれないじゃないか。
そう思おうとしても、“そうではない時”というのは案外判ってしまうもので。
女の勘、なんて言ったら笑われそうな気がするけれど。
昔から、私の勘は当たってしまうのだ。
「スガワラくんって少し大人しそうに見えるけど、お誘いには応じてくれるんだって!」
一体誰が言っていたんだっけ。
彼の部屋の電気は、“定期的”に、夜遅くにもかかわらず“消えている”。
その事実に胸は痛むけれど、私はいつもこの道を選ぶ。
塾から自宅までの道は他にもあるし、決して、彼の家の前を通るのが一番の近道という訳でもない。
でも私には他の道なんて、見えなかった。
「いらっしゃい。」
中学の頃と違って、高校に入ってからは互いの家で遊ぶ機会は著しく減った。
お互い忙しかったとはいえ、疎遠になってしまったような感覚には心細くさせられるだけ。
だから携帯の受信ボックスにコウイチからのメールを確認すると、必要最低限の物を引っ掴んですぐに家を出た。
「うん、お邪魔します。」
玄関で待機していたコウイチは、扉が閉まるのを確認すると自分の部屋に向かって歩き出した。私は靴の向きを整えてから後を追う。
部屋に入って早々にベッドへと腰掛けた彼は、ポンポンと自分の隣を叩く。
それに大人しく従うと、どこか一点を見つめたまま隣の人物は口を開いた。
「ねえ、マイカ。」
聞き慣れた声のはずなのに、久しぶりに聞いたからなのか知らない声のように感じた。
「俺ね、引っ越すんだって。」
玄関の扉を開けた時。廊下や階段を通った時。そして今、コウイチの部屋に入った時。
ずっと気になっているモノがあった。それは今も、視界をちらついていて。
本当は、なんとなく、気づいていたんだ。
彼が私を招いた、理由に。
家のあちこちに積み重なった大量の段ボールが示す意味なんて、ひとつしかないのだから。
「……そう、なんだ。」
「明日、出発するらしい。」
「……。」
「ここよりもっと北に行った、かなり遠いところなんだって。」
「……。」
「父さん寒がりだから少し心配だな。」
お父さんの異動に家族で付いていくことになったのだと。
彼は、まるで他人の話をしているかのような曖昧な物言いで言葉を紡いでいく。
他人事のような彼の口調の理由は、きっと、そこに意思が籠もっていないから。
そこにコウイチの意思は込められていないけれど、いくら止めてもきっと彼は去っていくのだろう。
なぜなら。
「もう戻ってこない。二度と、マイカにも会えない。」
あの声が告げた最後の言葉だけは、コウイチの言葉だったから。
永久の別れではないのだから、会おうと思えば必ずまた会えるはずなんだ。
だから、コウイチの言葉が示すホントウは。
もう二度と、“会う気がない”。
「……そっか。」
私は力なく笑った。
私たちは喧嘩をしたわけではない。壮絶な過去を背負ってもいない。
平和に、仲良く暮らしてきた。
だからこそ、この選択なのだ。
彼の、私と距離を置きたいという気持ちは何となく、何となく理解できる。
似た者同士、同じような感情が自分でもよくわからないような心の奥底にあった。
私たちはお互いのことを嫌ってなどいない。むしろその逆だった。
だからこそ、近づきすぎることが怖かった。
「ねえ、マイカ、」
声を聞いただけで、彼が言おうとしていることが解ってしまった。
「……いいよ。」
「……っ、俺に“最後の夜”を頂戴?」
「うん、あげる。……あげるから、」
最後の最後まで、ここから消えるその時まで私を愛して。
それは。
私と彼が一緒に過ごす、2度目で、ハジメテの夜だった。
次の日、スガワラ一家はこの街を離れた。
私は何事もなかったかのように見送りに行き、彼は何事もなかったかのように自分を見送りに来た友人に笑いかけていた。
そして私たちは、何も知らないかのように「またね」と挨拶を交わし合った。
その言葉の終着点は、ふたりだけが知っていればいい。
これから先は、マイペースで大人しくて少し変わり者の“スガワラコウイチ”の居ない未来が来る。
ただ、それだけなのだ。
あの日のことは、決して罪ではないけれど。
あの夜共有した体温は、私と彼の生涯の秘めごとだ。
迷い続けた若き日々の、夜空に融けた“夜迷いごと”。
執筆:2013.06.05
編集:2020.09.01