“嘘つきは泥棒の始まり”と言われるように、嘘を吐くのはいけないこととされる。
しかし一方では“嘘も方便”と言われるように、嘘を吐くことも必要とされる。
果たしてどちらが適切なのか。
僕は今でも解らない。
ごめんね。あの日嘘を吐いてしまったこと、とても後悔しているんだ。僕が変な意地を張らなければ、プライドなんて気にしなければ。君は泣かなくて済んだし、僕はきっと今も君と居れたはずなんだ。自業自得しか言いようがないけれど、僕は君と離れたくなかった。離れることになるなんて思ってなかった。ああ、なんて馬鹿なことをしてしまったんだろう。
今、彼女は何をしているのだろうか。
――――――……
「とーま!」
僕を呼ぶその声が好きだった。
保育園から高校まで同じ所に通い、ふたりきりでよく遊んでいた僕と速水は、俗に言う幼馴染というものなのだろう。
家が貧乏で遊ぶものを持っていなかった彼女を、僕はしょっちゅう遊びに連れ出した。
ふたりの家と家の中間地点にある公園が、僕らのお気に入りだった。
最後に行ったのがいつだったか、もう覚えていないけれど。
僕らはずっと一緒だった。お互いに誰よりも仲の良い存在だった。
中学も、高校も。同じクラスでよく喋って騒いで怒られて、時には喧嘩して。
その関係が変わったのは、僕の所為だ。
「透真、好き。」
そう告げたのは、確かに速水だった。
生まれつきぱっちりとしている目はしっかりと僕を捉えていて、頬は赤みを帯びている。
思わず息を呑んだ。
断る理由は見つからなかった。
けれど、妙な照れ臭さが邪魔をして「もう少し、待って。」と、煮え切らない返事で保留にした。
それが、いけなかったのかな。
『別に、好きじゃない。』
『幼馴染みってかただの腐れ縁なだけだし。』
『それだけでアイツと噂になるとか最悪。』
友人に速水とのことを聞かれて、口を吐いて出たのは否定以外の何物でもなかった。
それは思春期特有のただの照れ隠しで。
周りに冷やかされて素直になれない、なんてありがちなもの。
へらりと適当に笑えば周りの男子もつられて笑う。
彼女に聞かれていたなんて、ベタな展開は考えてもいなくて。
「そういうことだから、……もう付き纏わないで。」
どうして彼女を突き放すようなことを言っているんだろうか。
何で、どうして、どんな流れで。
何も、何も何もわからない憶えてない。
ただ、“しまった”と思った。
溢れる涙は堪えきれずに彼女の頬を伝って落ちていく。
顔を歪めて無言で頬を濡らす速水は、不謹慎だけれどとても綺麗で。
思わず見惚れて、それと同時に“しまった”と。
彼女を酷く傷付けたことを知った。
薄っぺらなプライドで発した言葉の重みを、知った。
立ち去る彼女に声をかけることも出来ずに、情けない僕は後姿を見送るだけ。
それから1週間、一度も速水の姿を見ていない。
「……今井先生。」
職員室で三十路を過ぎた担任の名前を呼べば、その人はペンを持つ手を止めてこちらを見上げた。
「おお、柏原どうした。」
「……ちょっと、聞きたいことがあるんですが。」
「あー、この後会議だから授業のことだったら放課後にでも、」
「はやみ、……速水の、ことです。」
声が震える。
なんて情けない声だと、もうひとりの自分が笑う。
「……ずっと、休んでますよね。」
小さく息を吐き、仕切り直してもう一度。
先生は、目を丸くして僕を見ていた。
「……柏原、聞いてないのか?」
その言葉に動揺した心は、うまく隠せていただろうか。
「幼馴染みだから柏原は知ってるもんだと思っていたんだがな。」
どくんどくんと、脈はじわじわ速くなるのに背筋は冷えていく一方で。
目を伏せて告げられた今井先生の言葉に。
「速水は辞めたよ、学校。」
体温が消えていくような気がした。
「柏原は知ってると思うが、速水の家経済的に苦しくてな。」
知ってる。
だから昔から僕は彼女を公園に連れ出して――――。
あれ?
いつから、速水と公園に行かなくなったんだっけ。
「そこにお父さんの病気も重なって、辞めなきゃならないって前から言ってたんだ。」
彼女を下の名前で呼ばなくなったのは?
“速水”と呼ぶようになったのはいつからだった?
「今年度いっぱいは通いたい、ってことで聞いていたんだが。……数日前に、突然な。」
眉を下げて視線を落とした先生の「どうしたんだろうな。」哀しそうなぼやきに息が止まりそうになった。
「本人には新学期までクラスメイトには休んでることにしてくれって言われてたんだが、……まあ、柏原は仲良かったからな。特例ってことにしとこう。」
「くれぐれも今の話は柏原の中で留めといてくれ。」と先生は付け加えた。
その言葉にぼんやりと頷いて。
ああ、僕は。
いつから彼女のことを、速水の家庭事情を知ろうとしなくなったんだっけ。
幼馴染み。仲が良い。
これらの単語を苦く感じるのは初めてのことだった。
そこからの記憶は曖昧で。
次に浮かぶ記憶は陽の落ちた黒色の空。
あの公園で、僕は溢れる涙を拭うこともせず、彼女が好きだったブランコを呆然と見つめていた。
幼馴染みを泣かせてしまった。大事な人を傷つけた。
もう、会えないのだろうか。
直接向き合って謝ることさえ、できないのだろうか。
携帯に連絡しても彼女から何か返ってくることはない。
頬を伝った涙が服に染みを作っていく。
涙が枯れそうになる度、あの日の速水の泣き顔が浮かんではまた涙が溢れる。
どうしようもなく胸が苦しくなって仕方がなかった。
なんで嘘を吐いてしまったんだろう。
本音は、本当は。
俺だってあの子のこと、
「とーま?」
名前を呼ぶ声とともに、身体を軽く揺すられる感覚がして。
遠い日に向いていた意識が現在へと引き戻される。
ふっ、と。
無音だった世界に音が流れ始めた。
「……なに?」
重さを感じる腕に目を向ければ、最近よく遊ぶ女友達が人工的に形作られた目で俺を見つめていた。
気の抜けた返事をする俺に、不満気に顔を顰める。
「何、じゃないってば!話聞いてた?」
「……あー、ぼうっとしてた。」
そう言ってへらりと笑う俺に、女は「もー、いっつもそれじゃん!」と口を尖らす。
あれから3年経った。
高校生という拙い身分は大学生に変わり、気づけば成人間近というもの。
けれど“俺”は何にも成長していない。
「ごめん、また買い物付き合うから許して。」
手を合わせて伏せ目がちにそう呟けば機嫌を直してくれることを知っている。
「……そうやって色んな子誑かしてるんでしょ?」
「あ、ばれた?」
けらけらと笑う俺に女は「透真のばーか!」とおどけてみせた。
割り切った関係というのは楽だった。
「透真は好きな人とかいないの?」
過去に思いを馳せる俺に、女はそう問うていたらしい。
この質問に、俺は未だに慣れることが出来ない。
胸中に浮かぶ動揺は、うまく隠せているだろうか。
「えー、何急に。」
「いーからいーから!で、どうなの?」
その言い方は軽く、けれど期待が透けて見えた。
いい友達だったけれど、そろそろ距離を置いた方がいいのかもしれない。
期待するのもされるのも、今はただ辛いから。
君の泣き顔は、数年たった今も僕の脳裏を侵食する。
「いないよ。」
懺悔をするには遅すぎた。
執筆:2013.12.17
編集:2020.09.01