top of page

 宣告が無くとも、事実と云うものは唐突に叩きつけられるものだ。


 『ねえ、』


 それさえも。

 『殺してほしいの。』

 それすらも“甘い蜜”に思えてしまう僕はきっとオカシイ。






 数年前の夏、僕と彼女は出逢った。

 “彼女”というのは僕の想い人で、とても綺麗な女性(ひと)。

 


 ゆるりとウェーブのかかったハニーブラウンの柔らかい髪の毛。
 程好い美白、すらっとした身体のライン。
 お洒落を食らい尽くしたかのようなファッションセンスに、誰もを惑わせる妖艶な美貌。

 一目惚れだった。
 彼女の目に留まりたいと思った。


 それから僕はとにかく頑張った。

 一切興味のなかった自分の容姿を磨き上げて。
 苦手な社交の場にも積極的に参加し君との繋がりを得て。

 彼女を穢そうと考える不届き者はどんな手を使ってでも排除して。

 ただひたすらに、がんばった。


 そして出会ってから半年後のあの日。


 「僕と結婚してください。」

 「――――いいよ。」

 

 ようやく君を手に入れることができたんだ。




 狂ったのは一体何処からだったんだろう。
 ふたりの結末は、出会った時から決まっていたのかもしれない。

 分岐点にはもう、戻れない。






 『ねえ、殺してほしいの。』


 それは確かに彼女の声だった。


 『ターゲットは分かるでしょう?例の男よ。』

 艶めいた声が夕陽に照った空間に調和する。


 『しかたなく付き合ってきたけど限界。』

 電話越しに彼女は吐息を零した。
 その声色はひどく色めかしい。

 けれど、その妖艶な声を素直に味わえないのは、


 『婚約なんてするんじゃなかったわ。』


 その電話の相手が、僕じゃないから。
 いや、誰と電話しているのかは今は重要ではなくて。


 『殺す必要?……あるに決まってるでしょ。』

 『あの男、親が相当なお偉いさんみたいで色々と権力とか圧力かけてくるのよ?』

 『別れ話切り出したら何されることか。監禁されて二度と外に出られないかもね………いや冗談じゃないってば。』



 僕じゃない男と彼女は電話をしていて。
 彼女は誰かを相当嫌っているようで。

 彼女の婚約者は、この僕で。


 『ほんと、気持ち悪いわ。』


 

 その言葉を向けられている人物が誰か。
 全く気づかないくらい、盲目的に鈍くなれたらよかったのに。


 


 彼女の憎しみも、僕の消えない愛しさも。

 何も知らないまま、真っ赤だった夕焼けは夜空に飲み込まれていく。

 



 先に動き出したのは僕。

 

 




 「あら、おかえりなさい。」

 


 がちゃりと音を立てて室内に入った僕を、キッチンに立っていた彼女は満面の笑みで迎え入れる。
 花が咲いたようなその笑みが一番好きだった。


 「……。」

 にこにこと笑みを浮かべ続ける彼女は、僕が沈黙する様子を見ると「……どうかした?」不安げな表情をつくって顔を覗き込んでくる。
 相も変わらず美しい君を、初めて怖いと思った。

 


 ねえ、君は僕が嫌いなんでしょ?



 「包丁、とってもらえない?」



 それなら僕が全部終わらせるから。

 彼女の二重の大きな目が、さらに大きく開く様子を眺めて自分自身を嘲る。


 「……何に使うの?料理ならもうできて、」

 疑心を浮かべた彼女の全てを遮るように、

 


 「僕は中途半端にプライドが高いからさ。」


 一歩前に歩を進めた。


 「……知らない奴に殺されるなんて、流石に堪えられない。」

 僕の言葉に時が止まったかのように彼女は動かなくなるのを一瞥して、また一歩。

 いつも余裕の崩れない彼女が「……きいてた、んだ。」動揺しているのを見るのはハジメテだった。
 その声には答えず、笑みだけを贈る。


 「そんなことになるくらいなら…………自分でやるから。」

 ごくり、と。
 彼女の息を呑む音が聞こえた気がする。

 でもそれはきっと気のせいだ。


 僕が次に足を踏み出した時には、彼女が繕っていた皮は全て剥がれたようで。
 すっ、と僕に包丁の刃先を向けて彼女は「はい、どうぞ」瞳で弧を描き、唇を綺麗に歪めて最高の笑顔を用意していた。

 「ありがとう。」

 手の届く範囲まで近づいて、彼女からソレを受け取った。
 こまめに研がれていたらしいそれは痛々しいほど煌めいている。

 漆黒の柄を掴んで、僕は、ソレを。




 そこからの僕の行動は速かったと思う。

 


 受け取った包丁を自分に刺したフリをして、彼女の方に倒れ込むフリをして。

 彼女の手を掴んだ。
 顔を上げてニヤリと笑みをつくれば、余裕そうにこちらを見下していた彼女の顔は一変する。

 「ッ!?」

 声にならない音を発する彼女の、その表情は如何にも顔面蒼白といった状態で。
 僕の心には妙な浮遊感と、


 「や……、やめ、て…。」

 加虐心がわいた。


 「ねえ、愛しい君?」


 彼女の閉じられた拳をこじ開けて、彼女の掌に凶器を捻じ込む。
 震えて覚束ない彼女の腕を、力いっぱい、痕が残るほどに掴んで。


 「君が僕を殺して?」

 花咲くような笑顔を手向けて思いっきり引き寄せたら……――――――はいオワリ。


 

 結局僕は、君に煙たがられても嫌われても愛を失っても。
 それでも、僕に必要なのは君だけ。

 それほどに、僕は彼女の虜だったんだ。



 「ねえ、」


 ならば、最期は君の手で。
 自らの手を汚すのが嫌いな君の綺麗な白い掌を、罪の色で染め上げて。


 「最期だか、ら、」


 君のことは殺さない。
 君が痛い思いするのは耐えられないから。


 「聞い……て欲し、いんだ…けど、」


 けれど、どうせ僕は死んでしまうんだから。

 最後に、ほくそ笑んでいた君の美顔を驚異の色で塗り潰して。
 僕を思い出す度に言い様もない窒息感に溺れちゃったり占められちゃったりすればいい。


 「ぼ、くは君、だけ……を、」


 報復なんて言葉は翳(かざ)さない。
 代わりに君の心に罪悪感を詰め込ませ、虚無の色を融かし込んで。

 

 

 


 「 あいしてたよ 」


 未来永劫、僕のことを瞼の裏に焼きつけていてくれたなら。
 僕を忘れないでいてくれるなら。

 

 ばいばい、愛しい人よ。


  君は永久(とわ)に僕のモノ


 さようなら。

 

  執筆:2014.02.09

  編集:2020.09.01

​罪で罰を殺す

そっと君の首に鎖をつけた。
bottom of page