白ヤギさんが出した手紙を、受取先の黒ヤギさんは食べてしまうという歌。
この歌が好きだと彼は言った。
今日も黒ヤギさんから返信は来ない。
《 ただいま、3階おもちゃ売り場にて、クリスマス期間限定の――――――… 》
今日は12月24日。
大人も子どもも関係なく、世間の大半が浮足立つ。
俗に“クリスマスイブ”と呼ばれる日だ。
聖なる夜であるはずのこの日に、どうやら私は独りらしい。
デパートに夕飯の買い出しに来ただけなのに、どこもかしこもクリスマスムード一色で私の心を鬱屈とさせる。
店内アナウンスの事務的な声だけが救いだった。
「数量限定!クリスマスセールやってまーす!今ならこのセーターが――――――…」
すべては連絡の一つも寄越さないあの男の所為だ。
溜息を吐きたい気持ちを押さえて自動ドアをくぐって外に出ると冷ややかな風が肌をなぞった。
私には遠距離中の恋人がいる。
大学生の私と違い、専門学校に進んだ彼は現在2年生で就活真っ只中。
お互いにアルバイトやら人付き合いやらがあるため中々都合をつけられず、数か月に一度といった不定期での逢瀬。
最後に会ったのなんて4か月も前のことだ。
それ以来、メールも電話もなし。
彼が好きだと言って始めた文通だって途切れてしまっている。
私だって学生といえども、もう二十歳だ。
遠距離の大変さは理解している。むしろ、1年半と少しの間、こんな状況でよく別れずに付き合えているなとも思う。
今すぐ会いたいと駄々をこねるつもりも、多忙な彼に小言を言うつもりもない。
でも、せめて。
せめてクリスマスだけは、あの人の誕生日くらいは一緒に祝いたいと思ってしまうわけで。
他は望まないから、私の想いを叶えてくれませんかサンタさん。
……なんて、居もしない存在に縋るだけ馬鹿らしい。
「白ヤギさんからお手紙着いた。」
彼が好きだといった歌を、思い出す。
『なんで好きなの?』
『んー、だってさあ――――…』
黒ヤギは、白ヤギからもらった手紙を食べる。勝手に食べておいて結局は、さっきの手紙は何だったの?と返事を送る。
それが、好きな子をついついいじめちゃう小学生みたいで愛らしい、と。
笑って言う彼の姿が思い浮かぶ。
それならば、と私はよく思うんだ。
「まさか本当に食べちゃってたりして。」
あなたが手紙をくれないことにも理由が有るのでしょうか。
彼から来た最後の連絡は、メールだったか。
“しばらく忙しくなる”
たった9文字のソレ。
4か月と少し、一度も連絡がないまま季節は夏から冬に変わった。
定番のクリスマスソングが耳を突き抜ける。
「……浮気とか、してたりして」
寂しいのも会いたいと思うのも。
不安に思っているのも、私だけなんだろうか。
『サンタクロースは信じれば絶対現れるんだよ。』
『俺も同じ。真奈が困ったときには駆けつけるから、だからいつでも頼って。』
1年前とは環境も距離も違うんだから。
サンタさんなんて所詮は空想上の存在。
「……ご飯作らなきゃ。」
一刻もはやく家に帰ってしまいたいのに、足は重く、スピードは落ちる一方。
家からデパートまでは徒歩15分以上かかる。
家の近くにもスーパーはあるし、私の気分が晴れやかでないのにもかかわらずこのデパートを訪れたのは。
街中にある大きなクリスマスツリーの前を通るこの道を選んでしまったのは、きっと。
「まな?」
どこかで期待をしてしまっていたから。
ちょうどクリスマスツリーの前を横切ろうとしていた時だった。
突然、後ろの方から聞き覚えのある声がして。
その声が私の名前を呼ぶものだから反射的に振り向いた。
「……智。」
「うん。」
2メートル程先に居たのは高校の同級生だった。
「久しぶりだね。」と笑う目の前の人物に驚いて、反応が遅れてしまった。
遠い地にいるはずの彼が何故ここにいるのか、とは思うけれども、時期を考えれば可笑しいこともないのだろう。
「……いつ、こっちに戻ってきたの?」
「ん?今さっき。」
智の手元を見れば、確かに大荷物のままだった。
マフラーも手袋もせずに薄そうなコートのみを羽織っている姿は見ているだけで寒々しい。
「ここで何してんの。」
「ああ、真っ先に愛しの彼女の家に行ったのにいなくてさ。」
眉を下げてそう零した智に「友達の家とか行ってるんじゃないの?」と言えば、「んー、インドアな子だから家にいると思ってたんだけどねえ。」彼は少し困ったように笑う。
「別の男でも出来ちゃったんじゃないかと心配で心配で、街中探し回ってたとこ。」
柔らかに笑って、軽い口調で本心を述べる。
出会った頃から変わらない彼のクセだった。
「真奈は?何してんの?」
「……夕飯の買い出し。」
「ひとりで?」
「うるさいなー。」
ここは人の往来が激しいから、とりあえず移動しようか?
智の提案によりイルミネーションで煌めく建物たちと反対側に歩を進め、人波を避ける。
通りを少し歩けば人がまばらになり始めたから、私たちは手近な建物の壁に寄って話を再開した。
他愛ない話の途中、私は少し気になっていたことを口にする。
「そう言えば、就活はどう?」
「へ?」
「“大川くん”と同じで専門行ったんだから就活、してるでしょう。」
大川、それは私の恋人の名前。
その名前を聞いて智は何かを考えるような仕草をみせる。
けれどそれは一瞬で、彼は視線を下げて自嘲的に笑った。
「大川、か。……あんな奔放な奴と、1年以上もよく続いてるもんだ。」
「それは、私も思うよ。」
横目で智を見ながら挑発的に笑うと、この態度がよっぽど意外だったのだろう、智は目を見開いていた。
「それで?就活の方は、」
「こっちに戻ってくることになったよ。」
「……え?」
想像していた返答と全く違ったから、間の抜けた声が思わず零れてしまう。
てっきり彼は向こうで仕事探しているとばかり。
「戻ってくるの?」
「うん。」
「……なんで?」
「なんでだろーね?彼女と離れたくなかったから?」
「……。」
「……嘘だって、良い条件のがこっちで見つかっただけ。」
ぼうっと智の顔を見つめていれば、何も言っていないというのに苦笑されてしまった。
そんなに変な顔をしていただろうか。
「ただ、ちょっと手続きとかで色々とばたついてて彼女に報告できてないんだよなあ。」
「怒ってると思う?」智は私を見下ろしながら眉を下げて問う。
「……さあ、どうだろうね?」
「えー、何それ。」
智は、笑う。
柔らかくて温かい彼のその笑顔に私は弱い。
怒ることも、出来ないほどに。
「……折角だから、」
ボソッと、小さな声に反応して智は「何か言った?」と聞き返してきた。
それにゆるりと視線を合わせて応えるように、
「さみしー者同士、夕飯でもいかがですか。」
どうせ一人でしょう?
そう言って手に持っていた買い物袋を智に向かってずいっと差し出す。
「今夜は鍋です。」
「何、ひとりで鍋するつもりだったの?」
にやにやと私の顔を見遣る智。
顔を顰めて手を引っ込めようとすれば手から袋の重みは消え、代わりに人肌の温もりを感じた。
どうやら買い物袋は奪われて、ソレを持っていた手は智の右手に捕まってしまったらしい。
「……何の連絡もよこさない恋人様の所為で、ね」
「へえ?」
繋ぎ方は、その辺のカップルたちがしているものと同じ。
「俺言ったじゃん?」
得意げに笑う隣の男のおかげなのだろうか。
「信じてれば必ず現れるんだって。」
少し前まで感じていた、怒りも不安もどこかに消えていった。
「そんなの覚えてるわけないでしょう?」
「ま、そーいうことにしといてあげましょう。」
「うわ、偉そうに。」
冷え切っていたはずの手は次第に熱を帯びていく。
温いどころか熱いほどに。
「……うちに帰ろうか。」
「そうだね。」
終わり良ければ全て良し、だなんて。
一体誰だそんなうまいこと言いだしたのは。
少し歩いたところで、智が足を止める。
「真奈、」
大好きな声。
隣を見上げれば、あからさまに頬を緩める彼。
「メリークリスマス。」
その声に名前を呼ばれる幸せを噛み締めながら、繋ぐ手に力を込めた。
予感がする。
私はきっとこれからもこの黒ヤギさんに振り回され続けるのだろう。
「……誕生日おめでとう、“大川智”。」
でも、それがいいと思った。
執筆:2013.12.24
編集:2020.09.01