あいつなんて大嫌いだ。
そんな感情が芽生え始めたのはいつからだっただろうか。
淋しさからか、甘えたさからか。
解らないけど俺は確かに“あの人”を妬んでいたんだと思う。
俺には一人、兄が居た。
文武両道、才色兼備。
周りの期待を全て受け止めて背負っているような、いわゆる“優等生”という奴だ。
『あの学校に主席合格とか本当にすごいよなあ。』
国内トップレベルの偏差値を誇る学校に入って。
『あなたは我が家の誇りよ。』
親の期待も笑って嬉しそうに受け入れて。
『こちらこそよろしくね。』
嫌いな人にもにこにこ愛想振り撒いて。
『本当に“あの人”と血繋がってるの?』
出来損ないの弟の手を引っ張って?
嫌な顔一つせず寛容に全てを抱き込むあいつの姿は、理解に苦しんだ。
嫌悪を抱くようになったのは何時(いつ)からだろう。
「ごめんな。」
少なくともまだ、あの時は好いていたはずだ。
数年前のある日突然、あいつがそう言い出した時は、まだ。
「なにが?」
あまりに唐突な言葉に思わず顔を顰めて返すと、不安を滲ませたような表情が目に入った。
なんでそんな顔しているのか、馬鹿な俺にはさっぱりで。
「父さんと母さん、……また何か言ってただろ?」
神妙な面持ちで兄が発した台詞に「なんだ、そんなことか。」と息を吐(つ)いた覚えがある。
≪ほんと、“あんた”はお兄ちゃんと比べものにすらならないわね。≫
≪まあ出来損ないなりにイイ“引き立て役”にはなれてるんじゃないか?≫
≪くれぐれも、“あの子”の邪魔はしないこと。それさえ守ってくれたらあとは好きにしていい。≫
「あんなのいつものことでしょ。」
「……。」
「兄ちゃんが気にしてどうすんの。」
「だって、あれは、……俺の所為で。」
普段頼りがいのある兄の、弱々しい姿。
初めて見る様子に少し動揺はしたけれど、口だけは自然と動き出した。
「だって兄ちゃんは努力してるじゃん。だからあんたの所為なんかじゃないってば。」
安心させてやろうと悪戯な笑みを浮かべてみせる。
目の前にぼうっと突っ立っているままの彼は、何を考えたのだろう。
ゆるりと緩慢に瞼を下ろすと、1秒も待たずにそっとその瞳を外気にさらす。
その綺麗な瞳には一体何が映っていたのだろう。
「ユウは優しいね。」
少しの間を開けて、見たことないくらい綺麗で柔らかい笑顔が咲いて。
その表情に今まで知らなかった兄のホントウを垣間見た気がした。
それからアイツは微笑んだまま、呟いた。
「お前のことは、僕がちゃんと見ててあげるから。」
そう、呟いた。
当時は希望に聴こえていたその言葉も。
今になって反芻してみるとただ見下されているようにしか感じられなくなっていた。
原因は、俺自身が歪んだことに他ならないが、それすら否定してただただ“アイツ”を恨んだ。
完璧で俺なんかとは価値の違う、“お兄ちゃん”を。
お前が居なければ世界は違ったはずだ、と。
努力を怠った自分を棚に上げた。
そうしていつしか、機は満ちる。
復讐の舞台というものは、いとも簡単に手に入ってしまうもので。
「ごめんね、私ユウ君が好きになっちゃった。」
人が好いだけじゃどうにもならないことだらけの世界で、あいつはきっと純粋すぎた。
お人好しは、いつか身を滅ぼすって、誰かが言ってたように。
綺麗すぎる王子様は、呆気なく傷を負う。
だから彼氏の弟を品定めするような、そして色目を使うようなオンナに引っ掛かってしまっても。
「あいつを大切にしてやって。」
ぎこちない笑顔で彼女の背中を押したんだ。
それが“オトウト”が意図的に仕組んだことだとも知らないで。
オニイチャンのカノジョを動かすのは、実に簡単だった。
「はじめまして、“弟くん”。」
初対面の時は微笑を浮かべて挨拶をこなし好印象を与えて。
「“キミ”って思ってたより明るい子だったのね。びっくりしちゃった。」
普段は当たり障りのない態度で接して。
でも兄貴の居ない場面では饒舌になってよく笑いかけてみせた。
女はギャップに弱い、って話を聞いたことがあったが全くその通りのようで。
会う度に色々な表情を見せるようにすれば、
「“ユウくん”は、彼女いる…?」
ほら簡単だ。
誘惑するような服装で、俺の体に触れながらわざとらしくキスをせがんで。
先にモーションをかけてきたのはあっち。
セックスフレンドなんていう不誠実な存在に本気になっちゃって、好きだった人を傷つけて悪びれもしない。
「俺、あんたのこと好きって言ってないよね?」
そのことに罪悪感を感じ無いような性悪女も、俺の言葉にはあっさりと涙を落とす。
やがて無情にお別れをすれば、
「アイツのこと好きなら傷つけるようなことはするな…!」
“予想通り”質(たち)の悪い女は兄へと泣き付いたらしい。
お人好しのよく出来たオニイチャンは自分を捨てた女のために本気で怒りを煮やすんだ。
なんて素敵な茶番劇。
それを本気で言ってる貴方は差し詰め白馬の王子様といったところか。
それとも安易に毒林檎を頬張ってしまうような滑稽な輩か。
思わず零れた嘲笑も、仕方がないと大目に見てよ。
でもまあそろそろ、オワリにしようか。
そっと俺は「何言ってるの?」耳元で毒を垂らすんだ。
「好きじゃなくてもいいから、って言い寄ってきたのはカノジョだよ?」
声のトーンを上げながら俺はそうのたまって、今までのコトを曝け出す。
俺は悪くない
“彼女が俺を誘惑してきて”
そりゃまあ多少自分に非は無いような言い回しをしたけれど、決して嘘は言っていない。
俺は悪くないんだ
“イイ声で啼いてくれたよ”
全部が事実に基づいたスキャンダルなのだから。
それに物語を面白くするには脚色だって必要でしょ?
ねえ信じてくれる?
ねえ、馬に蹴落とされた哀れなオウジサマ。
「 “俺はあんたが大っ嫌いだよ” 」
今はどんな気持ちですか?
色を無くした兄貴の悲壮な顔を見て、心の中でほくそ笑んで。
とはいえ、ちゃんとワルイとは思ってるから謝罪の言葉を添えておこう。
「 “兄貴”、ごめんね? 」
ああ、なんて可哀想なオニイチャン。
でも俺だって、傷だらけの貴方なら大好きなのにね。
『お前のことは、僕がちゃんと見ててあげるから。』
ざまあみろ。
執筆:2014.02.28
編集:2020.09.01