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 彼は不思議な人だ。

 「あ、水見さんだ。」

 夕暮れの放課後。

 教室に入ろうと戸に手をかけた時、ゆったりとした足音とともに声が聞こえた。

 「……秋君。」

 声を辿って振り返ると、そこには同じクラスの秋蒼真が居た。

 下校時間が近づいているこの時間に、誰かに会うなんて思っていなかったから少しだけ驚いたけれど。

 別段隠すべきことをしていたわけではないのだから、コソコソする必要も当然無く。

 

 彼を一瞥したまま、教室の戸を開いた。

 「先にどうぞ。重いでしょう。」

 彼の手には大量に積み重なった、本。

 そう言った私に秋蒼真は一瞬きょとんと目を瞬かせた後、「ありがと。」なんてふにゃりと笑った。

 

 その笑顔がどうにも眩しくて、目を細める。

 教室から漏れ出る若干の夕陽が重なって、きらきらと、いつも以上に彼の存在を惹き立てていた。

 秋蒼真は綺麗な容姿をしている。

 それでいて落ち着いた、少し独特な雰囲気を持っていている彼は端から見ればクールなのだとか。

 でも実際に接してみるとクールとは程遠い、明るくてよく笑う表情豊かな男の子。

 皆によく愛される人だった。

 秋蒼真に続いて教室に足を踏み入れる。

 彼は自分の席に座って早々に、数ある本の中から1冊を手に取り表紙を捲った。

 「……それ、全部一人で読むの?」

 

 彼の机の上に無造作に置かれた多くの本。

 その本の山には文庫から、評論文や小説等と幅広くあるようだった。

 

 「うん、さっき図書室で借りてきた。いくらあっても一気に読んじゃうんだよね」

 視線を落として頬を緩めている彼の横顔を見つめる。

 「本、相当好きなんだね。」

 「読み始めると寝るのも忘れちゃうからよく寝不足になるんだけどね?」

 ふと、よく授業中に寝て怒られている秋蒼真の姿を思い出した。

 

 毎授業のように先生を困らせている彼の睡眠の原因が読書とは、どこか可愛らしいギャップに思えて。

 微笑む私に気付いた彼は不思議そうな顔で小首を傾げる。

 「水見さんは?こんな時間まで委員会?」

 美化委員だっけ。

 重ねて彼が呟いた。

 「いや、先生に手伝い頼まれて。さっきまで資料室に。」

 今日は委員会がないから、早々に帰って借りたDVDでも観る予定だったのだけれど。

 人使いの荒い、我らが担任の姿を思い浮かべて心の中で苦笑する。

 

 「そ、おつかれさま。無理しないでね、水見さんは一人で背負い込んじゃいそうだし。」

 「……ありがとう。」

 彼のさりげない一言に、柄にもなく動揺してしまう。

 昔から、あっさりしたこの性格と感情が表に出づらい体質の所為か、他人に本心を見抜かれることはなかった。

 それを初めて打ち破ったのが、他でもなく、秋蒼真だ。

  『 水見さんって実は人見知りでしょ 』

 そう言って控えめに笑う秋蒼真を見た時。

 あの瞬間、彼には敵わないと悟ったんだ。

 「水見さんって、」

 数か月前のある日に思いを馳せつつ帰り支度をしていると、落ち着いた声に名前を呼ばれた。

 彼の声、好きだな。

 無表情のままそんなことを思いながら、手を止めて隣の人物に視線を向ける。

 「“水の低きに就くが如し”」

 依然手元の本から目を逸らさずに彼は言う。

 「ことわざ?」

 「うん、知ってる?」

 初めて聞く言葉だった。

 ゆるゆると、ようやく顔を上げた秋蒼真に対して、「知らない」という意を込めて首を横に振る。

 彼はそれを一瞥して、さっきとは違う本に手を伸ばした。

 「物事は自然のなりゆきに従う、という意味。」

 「……。」

 「水見さんみたいじゃない?」

 私みたいだと。

 彼は確かにそう言って、視線を本に戻した。

 

 その言葉の指す先が、私にはいまいち分からなかった。

 それから数分間沈黙が続いた。

 本のページを捲る音だけが、ふたりきりの教室を満たしている。

 言葉の真意がわからないまま、そろそろ帰ろうかと鞄に手をかけた時。

 「水見さん。」と、再び名前を呼ばれた。

 声の主は勿論、秋蒼真だ。

 いつの間にか本は仕舞われていて、彼の双眼は私をじっと捉えていた。

 「さっきのことわざにはもう1個、意味があってね」

 「もうひとつの意味?」

 「うん、知りたい?」なんて尋ねる彼は、きっと私の返答なんて求めていないのだろう。

 それでも彼の声が何を紡ごうとしているのか気になって、私は頷いてみせた。

 「“自然の勢いは人の力では止めがたい”」

 「……。」

 「この場合の自然は、“普段はヒトにされるがままの自然”って捉えてみて。」

 これはつまり、水見さんを指しているってのが俺的解釈ね。

 相変わらず、よくわからない言葉なのに。

 私は秋蒼真の言動から目を離すことが出来ない。彼が何を思っているのか無性に知りたかった。

 「俺はね、これこそ水見さんの本質かもって思うんだ」

 その言葉を聞いた途端、私の中で何かが弾けたような気がして。

 静かに速まる鼓動の音が自分自身に響く。

 彼が打ち出した“自然=私”という等式は、難しくて、でも明解で。

 

 ひどく心に染みついていくようだった。

 「……水見さんも、たまには自分の意思とかやりたいこと、突き通してみたらいいよ」

 ああ、眩しい。

 「水見さんが本気出ししたらこわそーだけどね」

 目を細めて柔らかく笑う秋君は、やはり、綺麗だ。

 ただひたすらに彼を眩しく思うのは、窓から差す陽の所為だけではないことは、もう分かっていた。

 麗らかな秋の陽のような彼に対して芽生え始めたこの感情には気付かないフリをして、もう少し秘めておこう。

 何もかも見透かしているような秋君にもバレないように心の奥底に隠して守って、そしていつか。

 いつか、冷静そうな彼の瞳に動揺の色を浮かべてみせたい。

 密かに、そう願った。

 ■ 統一設定企画 提出作品


  執筆:2013.08.24

  編集:2020.09.01

秋うららと水鏡

今はまだ、このままの関係を。
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